9月1日発売のnarannto秋・冬号の特集“地産地消の贅沢”に
ニーノが掲載されました。
ご興味のある方、ご機会がありましたら一読していただければ幸いです。
なお、25日発売のぱーぷるには、さつまいもの特集のページに掲載予定です。
9月とはいっても、まだまだ暑さは残るでしょうが、桜井の畑での収穫を
順次、お届けしたいと考えております。
皆さまのお越しを心からお待ちしております。
イタリア研修&思い出の地の散歩
2011年1月24日(月)
久しぶりのイタリア!日本からイタリアまで13時間、ローマから国内便に乗り継ぎバーリ到着!かなり眠気がしたのでタクシーを使い、ホテルに着いたのが現地時間22時半過ぎだった。しかし先ほどの眠気はどこへ行ったのか?安心したのか?それとも興奮しているのか?次の日から予定が詰まっていたので、早く寝ないと、と思ったが寝酒でもと思い直しホテルを出てBARを探すことに。けれど異常なほどの寒さと雨が考える気力を低下させ、やっと見つけたのがテイクアウトのピッツェリア。小腹もすいてきたので入ることに。中には30代の男性2人と20歳前後の女の子だけ。閉店間際なのか?寒さのせいか一見恐そうだった。しかし、“自分は今、日本から来ました!”と話しかけると、一転して笑顔満載。楽しく食事をすることが出来た。最初、ホテルに持って帰って食べようと思ったが、栓抜きもフォークもないのを思い出し、店内で食べても良いかと聞くとみんなが快く承諾してくれたので、そこで美味しく頂いた。南イタリアだからパンのように厚いピッツァだと思っていたが、出てきたのはニーノのように薄いタイプだった。
前日まで店の片付けに追われ、寝たのは深夜の2時過ぎ。寝ないと明日からの予定が大変だと思い、急いで就寝。この日は23時半にベッドに入った。
2011年1月25日(火)
興奮していたのか?時差ぼけのせいか?熟睡できなかったのでホテルの朝食を頂くことにした。久しぶりのホテルの朝食。シンプルだったが美味しかった。
朝食を済ませ、イタリア語の勉強をすることに。イタリアに来るまで勉強できなかったので、ここぞとばかり勉強をしているとイタリア人登場!僕より一回りも二回りも大きい男性。しかし見かけから優しいオーラが溢れ出ていた。彼がこれから赴くところへのドライバーだった。車に乗り込むと、前日のタクシーもそうだったがイタリア人独特のドライビングスタイル。普段、他人の運転に慣れていない、妻の運転にすら納得いかない僕だが、比べ物にならなさすぎる。帰国すれば妻の運転も心地よく感じるだろう。この旅の恩恵の1つだ。喧嘩の原因の1つを解消したことになる。イタリアという国にありがとうと言いたい!
しかし色々な意味でハードだった。日本から風邪薬と、疲れたときのために栄養剤は持って来ていたが、タクシーに乗った瞬間、以前イタリアに滞在していたことを思い出し、1つ必要な薬があると思ったのだが手遅れだった。酔い止め薬・・・。案の定、時差ぼけと寝不足のせいか、少し酔いかけたところで、本日最初の見学地、ワイナリーに到着。下戸の僕がワインを飲む前から、すでに酔いかけ若干フラつきながら敷地に足を踏み入れると、従業員の方がみんな暖かく出迎えてくれた。ふらつきを忘れさせるほど和やかな雰囲気だった。全身で歓迎されているのがヒシヒシと伝わってくる。トップの方でさえ気さくに案内してくれ、僕は辞書を携えての会話だったが、予想以上の歓迎に戸惑いすら感じていた。僕のような、小さなレストランの人間にここまでしてくださるとは正直思っていなかったからだ。日本の輸入業者では入荷出来ないワインを購入したいと考え、“このワインを買えますか?”と尋ねると“3種類のワインを君にプレゼントするよ”と言われ、お断りするのもどうかと思ったのでそのまま頂くことにした。全て違う葡萄から造られたキリッとした白ワイン。最高に美味しい!ニーノでも登場するか?!
次はオリーブオイルの工場見学!先ほどのワイナリーの男性に送迎してただき到着。綺麗な施設の中に入るとイタリア人女性が現れた。ここで彼と彼女が交代。そこへイタリア人の男性と、貫禄と優しい眼差しを併せ持った年配の男性、そしてもう1人、一際大きく、全く雰囲気の異なる男性が現れた。それもそのはず。トップの方だったのだ。その雰囲気は迫力と全てを見通すかのような。さすがに違うなと感じ入った。そしてここでも、絶大な歓迎。圧巻だった。施設の説明も詳細におよび、たいへんな勉強となった。またまたお土産も頂き、恐縮の限り。
その後は海沿いにある城を見学。城の隣には、遠く離れた対岸の山、50キロ離れたところからも見えるという大きな教会が。3つの古い建造物があり、70メートル近くある教会の迫力は言うまでもない!城も海に隣接と言うよりむしろ、海に一部浸かっていた!もう1つの建物は裁判所として使われているらしい。歴史的建造物が無駄なく利用されていることに感心した。最後はレストランにて昼食。港の近くで取れた新鮮な魚介をふんだんに使った料理は全て、素材の味を最大限に引き出すようシンプルな味付けで非常に美味しかった!僕の知ってるイタリアンは塩味が若干強めだったが、この地の味付けは全く違い、日本的というか日本のものよりシンプルかもしれない。しかしながら全てが美味しいのである。ホウボウという魚を使ったパスタも優しい味で、僕の中のイタリアンのイメージがガラッと変わったのを感じつつ、それを楽しみながら頂いた。彼らにこれらの料理を奈良でも提供するのかと聞かれたので、もちろんだと僕は答えた。
今回の見学はサッと見て、サッと帰ると考えていただけに、こんなにも時間と空間を用意していただけたことを、本当に心から感謝している。
2011年1月26日(水)
今日はイタリア大手のパスタメーカー、ディヴィエラの見学の日。予定時刻に女性の方が現れ、そのまま高速道路へ。すぐに景色は見渡す限りのオリーブ、葡萄の木々へ変わっていった。時折、セクシーな女性が現れ目のやり場にも困ったが、片言のイタリア語で会話を楽しみながら30分あまりで会社へ到着。正直こんなにも大きい会社だとは思っていなかった・・・。歩けるような広さではないので、車に乗りながら、ココは新しい倉庫だとか、ココはトマトだけを扱っている建物だとか、その横は生パスタの建物だとか。しかし生パスタは鮮度が重要なので、日本には輸出しておらず、近隣のドイツ・フランス等に輸出しているとのことだった。車から降りて建物の中に入ると、小麦の良い香りが漂い幸せな気分を味わいつつ、そのままアンティークな機械を横目に2階へ。そこで思わず叫んでしまった。目の前に現れたのは、僕の大好きなF-1マシーン!よく見ると車の前に、ディヴィエラのロゴが・・・。スポンサーなのだ!さすがに大手企業だけのことはあると思った。そのまま進んだ部屋には計測器や鍋やパソコン、様々な機器があり、聞くとここは会社の中心的役割を果たす部屋で、正に中枢と呼べる場所。ここでは小麦のグルテンの量を計測したり、新たなパスタの開発や品質向上の為の研究がされている。素晴らしい施設の紹介の後、服を着替えて工場内部へ。最新の機械設備は言うまでもなく、何より綺麗な工場だった。工場見学の醍醐味の1つは、その場での試食。過去にはシメジと、マッシュルームの試食があるが、できたてのパスタを試食する機会はそうないはず。それも現地イタリアで!今回、ワイン、オイル、パスタ全て現地で味見することが出来た。どんな味だったのかは、お店に来ていただいた方にのみお話しようと考えている。おそらく長くなるだろうし、暇なときにしか出来ないであろう。ひたすらニーノに通っていただくしかないと思う。
この工場はまだまだ発展していく要素が山ほどあった。まだ稼動していない機械もあったし、新商品もたくさん、しかもイタリアにもまだ出されていないほどだから、日本にはいつ入荷されるかもわからない・・・。僕は今までディチェコとバリラが良いと思っていたが、今回ディヴィエラの商品の説明を受けて改めて、すごいと思った。通常より長く乾燥させるとことや、半端なパスタはどうしているかなどの思いつく質問は全て聞いてみた。地球にも優しい企業だなと思いながら事務所へ戻るとトップの方がいらして、またまた気さくに話をしてくれた。しかもこの会社は内部全ての写真まで撮らせてくれ、みんなが気さくに要望に応じてくれた。
その後、会社の若い男性、レオと昼食へ行くこととなり、初めて会ったにもかかわらず感じよく話も楽しめ、年が近いせいもあってか共感し合える部分も多く、深い会話まですることが出来た。一緒に過ごした時間からすると考えられないような、秘密までも打ち明けてくれた。なので僕も彼に秘密を打ち明けてきた。これは生涯、僕たちだけの秘密となるだろう。
食後、海を見たりウィンドウ・ショッピングを楽しみながら街の紹介を受け、やって来たのはサンタクロースのモデルとなったセント・ニコライの教会、聖人ニコライ堂。彼は現在でいうトルコ出身の聖人だ。サンタクロースのご利益かホテルへ帰ろうとしたとき、妻にぴったりのプレゼントを見つけ買おうと思った。今まで僕が妻にあげたプレゼントはことごとくハズレばかりだったのだが、今回は間違いないと確信した。しかしそのとき、レオが他のものを指しながら“これを僕が友人として君にプレゼントするよ。それを君が奥さんにプレゼントするのはどうだろう?”と・・・
。しばし僕は考えた。かなり悩んだ。が結局レオの言う通りに。レオが日本へ来たときには、僕がレオの彼女のためにプレゼントを用意すると約束した。短い時間ではあったが、最高に濃い時間を過ごすことが出来て、レオとみんなとイタリアに感謝している!
ホテルに戻り少しするとお腹がすいてきた。が、さすがに昼食が多かっただけに歩くことにした。面白いことはないだろうかと思って歩いていたとき、先ほどのレオとの会話を思い出した。 “バーリからミラノまで電車で行こうと思っている”と話すと、レオは立ち止まって“有り得ない!!!”との答。なぜかと聞くと飛行機なら1時間のところ、電車なら8~10時間かかるとのこと。おまけに値段もほとんど変わらないと。それならばと思い、飛行機のチケットを売っているところを探すことにした。しかしここは知らないところで、チケットがどこで手に入るかも当然わからない。ひたすらに歩き続けてようやく見つけ、つたないイタリア語でミラノまでのチケット購入成功!嬉しかったのでひとりでに顔が緩み、歩いていると周りの人たちが自分を避けるように通り過ぎることに気付く。そこで普通の表情を装って帰途についた。が、また道に迷ってしまった・・・最終的にホテルまで5時間の道のり!歩き続けるうちに店も閉まっていき、ホテルの近くまで帰ってきたとき、腹ごしらえにピッツェリアに入る。するとインド系の男性と、頑固そうなピッツァ職人の親爺さんと、笑顔1つない無愛想なおばさんが僕を凝視。夜の遅くに、変なアジアの男性が入ってきたのだからそんな反応も仕方ないと思い、さっさと注文し待つ間に素性を明かしてみると、これまた一転して和やかなムードに。この土地の郷土料理のレシピを教えてくれ、おまけにカレンダーまで頂戴し、いそいでホテルに持ち帰って食べた。これがまた美味しいのなんの。早く日本に帰って作ってみたいなぁと思いながら気持ちよく就寝した。
2011年1月27日(水)
今日は待ちに待ったレストラン修行の日だ。しかし起きてからどうも調子がおかしい。イタリアへ来るときの飛行機で、隣にいた夫婦の奥さんがよく咳をしていたことが脳裏をよぎる。嫌な予感が・・・。
予感的中最悪なコンディションの中、仕事につく。しかし普段ならすぐに覚えられることが全然頭に入らない。悔しいけれど仕方ないので、切り替えて頑張ることに!
今までの自分のやり方とは全く違うことにまずびっくり。全ての料理の味見をさせてもらったが、全てが素晴らしかった!動線の取れた無駄のなさにも感心。美味しいものを美味しい間に提供する。イタリアン・マジック!イタリア人はあまり働かないと聞いたこともあったけれど、そんなことはなかった。シェフも早くに出勤し、一緒に働く若い女性スタッフにも気を使い、日本のような上下関係のない働きぶりに好印象。仕事中、よく怒り、よく笑い、冗談も交えながらやるべきことはきちんと。喜怒哀楽がはっきりしていた。
出来る限りたくさんのメモと、たくさんの写真を撮らせてもらった。ここは海の近くということもあり、海水がよく使用されていた。もちろん後から塩を足す料理もあるが、元々塩味の強い、例えばパンチェッタなどを使う料理に塩は必要ないと!海の幸も塩味が効いているので、必要最低限の塩のみだった。そして今まではたくさんのニンニクを使っていたが、それも必要ないと知った。イタリアン=ニンニクではなく、美味しければそれで良いと!新しいニーノはかなり変わるだろう。
今回僕は、自分の今までを一切なしにして、初心に戻って様々なことに挑戦してみた。日本のやり方ではなく、そこで初めて見たイタリア式魚の3枚おろし。自分でもびっくりするくらい下手だった・・・。シェフはさすがに慣れたもの。しかし今回の僕のテーマは初心に戻って、イタリアを肌で感じる。自分の持ってる技術は一時封印。それは右利きの人間が左手で生活するようなものだろう。ドジばかりだったが、根気よく付き合ってくださったレストランのスタッフに感謝。この旅は一生の思い出、宝物となるだろう。
2011年1月28日(木)
元々前日だけの料理研修だったが、交渉が成功し今日も行けることに。風邪は回復しつつあるが、ホテルから出ると寒い!風邪なのか?気温が低いだけなのか?どちらなのか定かではないが、レストランへ行く時間が迫っているのでとりあえず小走りで向かった。イタリアに来て5日目となると、現地の空気にもかなり慣れてきた。信号にしても待つ人は、ほとんどいないだとか。見渡すと待っているのは僕くらいで、馬鹿らしくなってきた。しかし全く日本語から離れた世界も悪くない。来るときの飛行機からイタリア語の映画を見て、どっぷりとイタリアに浸かっている。
最後の日ということでシェフがバーリの郷土料理を2品教えてくれた。1つはパーティーでも使える一品だ!もう1つはバーリ特産の野菜を煮たものと豆とジャガイモと玉ねぎを煮てペーストを混ぜて食す料理。心安らぐ素朴な味だった。
苦労したのはムール貝。今までカキは使ってきたけれど、生のムール貝を扱うことはなかった。みんな簡単に開けるのでトライするがなかなか上手くできない。毎日、大量の魚介類を扱うのはさすがに海の街と感じる。厨房の仕事が終わると、次はピッツァ職人へ質問。今までアレンジのピッツァが多かったので、本場のピッツァを聞いて、見て、ビデオに録画し教わった!ニーノ奈良店では本場に近いピッツァを楽しんでいただけるだろう。ニーノ目指すはリトル・イタリアだから・・・。
最後はみんなで写真撮影会!リストランテ・スポルフォンドのみなさん、ありがとうございました!
2011年1月29日(金)
今日はミラノへの移動日。昨夜は最後まで店に残って会話を楽しんだので、店を出たのが深夜1時前。ベッドに入ったのが3時前で久しぶりにゆっくり寝ようと思った。しかし朝から携帯電話が鳴り響く。日本は今、土曜の昼前だ。海外での携帯電話料金はだいぶ高いので早々に切るようにしている。
自分で初めて購入した海外のチケットを換券。ドキドキする。時間や曜日は間違っていないか?以前イタリアで知人に頼んだチケットが、あろうことか2時間遅くの時間が誤ってチケットに刻印されたため、とんだハプニングに遭った。自分が悪いわけではないのに、理由をきちんと説明するまでは機長をはじめ、まわりの乗客に白い目で見られたことがあった。同じようなことが起こるはずはないと思うが、かなり早めに空港へ到着。そして何も起こらなかった。当たり前のことがこんなにありがたいとは・・・。
自分の子供にプレゼントを考える。何も思いつかず妻にメールして聞くと、プリキュアのシールがほしいと・・・。我ながら僕の娘だと思った。イタリアにあるわけない。イタリアのアニメで思い出したのがピノキオだったので、小さな木でできたピノキオの人形を2つ購入。
来るときのローマからバーリまでの飛行機は、窓際の席を購入してあったが、そこには見知らぬイタリア人が座っていた。チケットを見せても何のことはない、普通に座ったまま替わる気配もなっかたので通路側に座った。夜だっだので、景色も見えないだろうと思ったからだ。けれどミラノへはお気に入りのバーリの街が見えないと寂しいと思い、早めに搭乗することに。そして無事窓側の席にありつけ、バーリを眺めながら雲の上へ。
1時間後、ミラノ・リナーテ空港に到着!久しぶりのミラノに興奮している。リナーテ空港を選んだのはミラノ中央駅に近いため、何かと便利かと思ったからだ。ホテルも駅の近くで14時にはチェックインも済ませ、散歩がてら、ホテルの近くのレストランをチェックしながらひたすら歩いた。その距離、時間にして4時間あまり!連日の散歩でかなり脚力が鍛えられた。しかし長い道のりの散歩の原因はひとえに道に迷うことにある。仕方なく歩くしかないのだ!明日は日曜なので休みの店が多いため、全ての交通で使えるチケットを購入しておこうと思いタバコ屋さんへ。(※イタリアではタバコ屋などで切符が売られているから。)店内の女性にビリエット4枚くださいと言うと、ものすごくゆっくりに優しく、聞き取りやすい声で返答してくれた。一瞬戦場カメラマン渡部さんの話し方を思い出した。まさかそんなことはない。チケットを手に入れ再び歩き出し、ホテルの近くのレストランへ足を向けた。結構高そうな店で、僕の前にいた男性は5分近く悩んだ挙句入らずにレストランをあとにした。それを陰から見ていた僕は、迷うことなく入っていった。なかなか雰囲気も良く、スタッフはきびきびとしていて、笑顔も絶やさず良さそうだったのだ。しかしそこはシーフードの店・・・前日まで海の横にあるようなレストランの味を堪能していた僕には、内陸ミラノのシーフードには感動できなかった。そしてワインのおかげで、日本でもないくらいふらふらに酔っ払た・・・美味しいか美味しくないかは個人の問題なので、この店のことはこれくらいにしておく。ホテルに帰り着くなり意識を失い、気がつくと深夜0時過ぎ。ここ数年ないくらいの頭痛を感じ、のどはカラカラである。このままでは風邪をぶり返してしまい、それは洒落にもならないので、ホテルの自販機で3本水を買おうと番号を押すとスナック菓子が・・・表示番号の12を押したのになぜと思いよく見ると、水の方には012番と0がついているではないか。詐欺みたいな自販機にいらだちながら012と押すとちゃんと水は出てきた。しかしコインが足りない。紙幣をコインへ交換するために受付に行く。頭が痛い。2本続けて飲んだ。
2011年1月30日(土)
この日も相変わらず早くに目が覚める。遠足前の子供のように6日間連続7時前に起きている!日本では有り得ないし、妻も信じないと思う。早起きの理由は、朝食の時間が早いと空いていてゆっくり食べることが出来るからだ。普段ガツガツしている僕だが、ホテルの朝食はゆっくりとりたいと考える。
食後、部屋に戻り今日のプランを考えながら、遅くとも8時半には出ようと思った。時間が来たので外出してみる。まずはカステッロ(お城)に行き歩いた。城の前で記念撮影をしている2人組みの外国人に写真を撮ってあげると、お礼に撮ってくれた。自分を写すのが好きではない僕の貴重な1枚だ。そしてブレラ美術館、その後ドゥオーモへ行き、僕が以前働いていた店を探すが見当たらない。10年以上前のことだ。かなり変わっていたし、変わっていないものもあった。
お腹が空いてきたのでレストランを探すことに。しかしガイドブックにある店はどうも信用できない!美味しい店は書かれなくても、覗いたらわかることが多いのだ。人がたくさんいるところは美味しいか、安いか、ガイドブックのせいかだ。しかし今はまだ開店間際でわからない。昨夜のこともあるのでさすがに慎重になった。悩みすぎてわからなくなったので、とりあえず入ってみることに。昨夜の店同様、誰もいない。不安と期待が交錯する。カメリエーレの対応は非常に良い・・・しかし昨夜の店もスタッフの対応は良かった。良からぬ予感を抱きながら今回は少なめに注文を。非常に落ち着かせてくれるサービスである。イタリアでは勘定の中にサービス料がすでに含まれているため、ほとんどの店の接客は良い。気に入れば別にまたチップを置くことも。気に入らなければ請求金額だけを払えば良いし、基本的には必要ないが、ほんの気持ちが次回の来店時に歴然とした違いになる。そして出てきた料理はというと・・・。この店は当たりだった。実に美味しい!当たり前のトラディショナルな料理だが、普通に美味しいのだ。初めにセコンドを頼み次にプリモ。順番がめちゃくちゃで料理人には申し訳ないと思ったが、美味しかったので思わず追加注文した。そのプリモも美味しく心が喜んでいるのを感じながら、悪いなぁと思いつつ再度プリモを追加。イタリアンの正しい在り方は最初にアンティパスト、食欲を増進させるための前菜があり、そしてプリモ。英語で言うファースト。1番目の料理、主にパスタ、リゾットとなり次いでセコンド(英語のセカンド。2番目の料理)、つまりメイン料理となる。昨日の失敗をふまえて、セコンドだけ先に注文したので僕の順番はあべこべで、そういうのを嫌がる料理人はたくさんといるとは知っていたが、追加オーダーしたくなるほど美味しかったのだ。最後はコーヒーとパンナコッタ。これも言うことなしだった。“日本人は来ますか?”と尋ねると“来ない”とのことだった。写真や英語のメニューがないからだった。やはりこういうところの方が僕は好きだ。イタリアに来てまで、日本人客にまぎれて食事するよりもこっちの方が断然いい。パスタ2皿とメイン1皿、ミネラルウオーターとデザートとサービス料で54ユーロだった。安いところは他にもたくさんあるだろうが、僕の満足感からは決して高くない値段だと思った。ちなみに昨夜は前菜盛り合わせ、パスタ1皿、水とワインで50ユーロ。昨夜はカメラを持っていなかったが、今日はあるのでこの店はホームページに載せようと思うし、今夜もここで食べようと思った。
お腹は満たされ、軽く散歩をと思ったのだが、もちろんここでも迷いしっかりと歩くはめに・・・。何とかバス停を見つけたので待っていると、乗りたいバスが僕の予想外の方向からやってきて、慌てて走るが間に合わなかった。次のバスを待つことにしたが、その日のミラノは雪混じりの雨で寒いことこの上ない。しかも今日に限ってカイロを忘れたのだ!しかし悪いことがあれば良いこともあるだろうと楽観。
夜になり、昼食を食べたレストランへ再度行く。昼間、美味しいと連発していた風変わりな日本人をみんな快く迎えてくれた。夜なのでワインをと思い頼むと、“これは良いワインなのよ”と女性スタッフが耳打ちする。確かに美味しい!続けて来た甲斐があったのかも・・・。小麦の一種を使ったプリモは初めて口にするものだったが、ソフトな感触と肉と玉ねぎの染み込んだ味がくどくなくて美味しい。セコンドはミラノ名物の1つ、オッソブーコ。おでんが好きな日本人にはたまらないであろう牛すね肉の煮込みだ。このほかにも濃厚なミラノ風リゾットも頂き、かなりの満腹。デザートは?と聞かれ、この状況でイタリア特有のあの甘いデザートはちょっと辛いと思い、断ろうとしたのに“何がありますか?”と思わず尋ねてしまった。情けない・・・。昼間はパンナコッタだったのでティラミスを注文。コーヒーは?と聞かれ、聞かれるがままにハイと答え、出てきた見た目しっかりのティラミスに覚悟を決めて、食べてみると意外や意外。全然くどくない優しい甘さで、これまた美味しい。
僕の話好きは、イタリアでも発揮される。いや、イタリアにいるからか?何気なくスタッフを見ると目が合い、何かと思って用件を聞きに来てくれたが、僕はこの店で何回言ったかもわからない“美味しい”をまた口にした。そして“イタリアの料理は美味しいところが多いが、デザートは甘すぎだと思うけど、この店は料理もデザートも本当に美味しい”と言い、昼間食べたパンナコッタとこのティラミスの感想を述べると、どうやらイタリア人でも甘いものを好まない人がいるらしい。そういえばバーリで働いたレストランの女性は、店のジュースは全く飲まずダイエットジュース(ノンシュガージュース)を飲んでいたっけ。失礼だとは思ったが、この店の味付けがあまりにも日本人の感性に合っていると思ったので“日本人の料理人がいてるのですか?”と聞いてしまった。するとデザートは店の奥さんが作っているとのこと。これは女性の観点だったらしい。
昼、コーヒーはサービスにしておくとコーヒー代はついてなかった。夜もついておらず恐縮だった。泡の細かい美味しいエスプレッソだった。
帰りは珍しくすんなりと帰れた。明日は購入した24時間パスの交通チケットをフルに使う予定だ。
2011年1月31日(日)
実質ミラノ最終日。曇りで寒い。
今日はミラノ近郊のモンツァへ行く予定だ。ガルバルディ駅で買えれば良いのだが、知ってる単語が少ないだけに、毎日通じるかとドキドキしている。しかし不安な顔をしていると、いろいろ狙われやすいので常に気は入っている。カバンは持つが大切なものは入れない。本とか傘とか、なくなってもいいものだけだ。お金はズボンの前のポケットだし、そんなにも持ち歩かない。
何とかモンツァ行きのチケットを購入。何番線で乗るのか?駅員に聞くと簡単なことは教えてくれる。僕はイタリア人はそんなに大きい人種ではないと思っていたけれど、結構大きいのにびっくりしていた。電車には何とか乗り込めたが、次は降りられるだろうか?問題である。イタリアの電車は基本的に手動ドアだ。最先端のものは自動かも?今、乗っているのはディーゼル機関車のようだ。乗り心地は良いものではない。が、安い!指定席の必要な電車ではないからだ。
モンツァまで歩こうと思ったが、50分かかるからタクシーで行けばと言われたので、そうすることに。タクシー乗り場にタクシーはあるがドライバーがいない。待つこと5分。ドライバーが現れ、タクシーに乗り込む。どうやら混んでいるらしく怒っている。時間は十分にあったが僕も同じように怒ったふりをするとサーキットまでとばしてくれた。帰るときは電話すれば良いと紙をくれたが、帰りはバスでと決めていた。誰もいないサーキットコース場のど真ん中に立ち、スターティンググリッド(スタートライン)やその他いろんなところをチェックして帰ることに。森に囲まれたサーキット。普段から街の人の憩いの場となっている。バス停と切符売り場を探すがなかなか見つからない。この道で合っているのかも定かではないが、とりあえず進む。タバコ屋を見つけ入ってみると隣のジェラテリア(アイスクリーム屋さん)にあると言われ、お礼を言って隣の店で切符を手に入れる。時刻表に行き先が書いていなかったので、近くにいた女性に聞いてみるがどうやら間違ってはいないらしい。一安心だが、降りる場所がよくわからない。時間を置いて、他の女性に聞いてみる。“駅まで行きたいんですが”と、ちょうど次の降り場だった。バスから出て左の階段を降りれば駅だという。すんなり行けた。昨日から迷うことが少なくなってきている。友人にフェラーリの帽子でもと思いながら、先にトイレを探した。しかしなんだか周りが慌ただしい。直感で同じように、同じ方向へ走ると電車が来るところだった。トイレと帽子と思ったが、次の電車を待つのもどうかと思い、諦めて電車に。行きとは違い普通の電車だった。ミラノにも早く着き良い調子だ!と喜んだ。次はまたバスなのだが、バス停を探すとちょうどバスも来ている。3メートル先にバスめがけて女性が走っていたので、自分も一緒に乗ろうと思ったが甘かった。やはり女性に優しく男には冷たい国だった・・・。目の前で扉が閉まる。バスの中の乗客と目が合ったときにむなしさは増幅・・・。しかし通常、10分以内に次のバスが来る。なんてことはない。無事にホテルに着き、トイレも済ませ、休憩するとミラノ中心へ行くことにした。
中央駅近くの夜は結構危ない地区で、昨夜、歩いていると2人組みの怪しい若者が道を聞いてきた。カバンも持っておらず、イタリア語らしい言葉だが、誰もが知っている中央駅を聞いてくるので、あしらいながら真っ直ぐだと説明するが、“真っ直ぐ?”と聞き返してくる。言い方を変えもう1度話すと、それ以上何もなかった。やはり怪しい場所である。強気で言わないと突っ込まれるし、路上の土産屋も危ない。買うつもりがないものまで買わされることも。強引なので、強引に断らないと隙を見せると大変である。
バーリのレストランで使われていた調理器具を探しに、ミラノの百貨店、リナシェンテに向かったが、お目当てのものは見つからなかった。気分転換に昔通ったBARを探すことに。記憶をたどるが、なかなかたどり着かない。諦めかけたとき、扉の隙間から見えた顔が・・・!少し店の雰囲気が変わったか?記憶違いか?とりあえず入ってみる。以前は夏場で、テ・アラ・ペスカかカプチーノを、少し贅沢したいときには中に何も入っていない菓子パンを頼んだ。近くにはパン屋さんがあり、そこにもよく通った。そこは淡い思い出の場所だったが、あえて探さなかった。BARでエスプレッソを頼む。以前の店だ!写真を撮らせてもらうと不思議そうな顔をしていたバリスタに10年前の話をすると、思い出してくれた!昔にタイムスリップしたかのようである。2人とも以前と変わらず元気そうである。日本でイタリアンレストランをしていると話すと喜んでくくれた。気分よく会話を楽しみその店をあとにした。そして調理器具を探すことに。またしても迷ってしまったのだが、それが功を奏し、端から端まで歩いた結果、調理器具の店を発見!日本でも買えるとは思うのだがイタリアで買いたかったので迷わず購入。帰りにはスーパーへ寄り、イタリアの食卓事情を垣間見ながらホテルへ戻った。少し休んで本屋とレストランを探すことに。本屋は駅にあるはずなので、最後の晩餐をどこでするかだ。迷った末に入った店は、20時過ぎなのに2組4人のお客だけだ。嫌な予感。無難な料理を選んでみるが3品とも美味しかった。けれど料理が出てくるまで予想以上に遅かった。時間に余裕がないとダメだろう。それ以外は値段も安く美味しかったので、個人的に満足である。
これがイタリア最後の日記となる。ミラノのホテルはシンプルで冷蔵庫もなく空調の音がうるさかった。テレビもリモコンが必要で使えなかった。歩きすぎて足に怪我をしたので、絆創膏は頂いた!
2011年2月1日(月)
6時起床。(日本時間:13時)
朝からグラッパを買いに街へ。時間より早めに空港へ行くことにする。二時間前に着き、ゆっくりしようと思ったのだが怪しい雰囲気。チェックインカウンターで重量オーバーと言われ、手荷物にしようとすると10キロを超えるとカバンが必要だと。ワインは手荷物ではダメだと重量を考えながら買ったカバンに荷物を移す。しかし手荷物検査でハプニング。今朝買ったグラッパが手荷物の中に。何を言われているのか言葉をはっきり理解できないまま、下に行けば良いと言われ、行ったがわからず、購入したグラッパと危険物と言う理由で調理器具は没収・・・!何とか飛行機には乗れた。
没収された商品を購入するため、費やした時間は5時間。なんとも無念である・・・。
日本時間2日12時前に日本到着!久しぶりの日本でイタリアの余韻に浸りながら空港バスを待つ。イタリアのバスと違ってあまりに穏やかで寝てしまった。日本だな!と思った瞬間だった。イタリアのバスを悪く言うつもりはない。イタリアのバスは気合いは必要だが間違いなく早い。夕方、家に到着。子供たちにプレゼントのピノキオを渡す。下の子はかわいいと喜ぶが、上の子は恐いと言って大泣きする始末。また失敗・・・。なんとか落ち着かせ、子供とお風呂に入って一緒に布団に入る。
子供たちが寝た後、イタリアでお世話になったお店にメールを送ろうとしたのだが、送れない・・・。夜中3時を回ったところで諦めて寝ることに。38時間起きてることになる。時差ぼけ・・・。
2011年2月2日(水)
ゆっくり起きるつもりだったが甘かった。早くに妻に起こされる。平常に戻った・・・。
食べることは、生きること。
食べ物は、体(肉体)だけでなく、心(精神)もつくる。
身も心も健やかになるように・・・そんな思いで食材と向き合う。
何を食すかは、どう生きるかにつながる。
食は、命の根っこ。肉体の糧。美しい精神をつくる縁(よすが)。
Ninoの食材の一つ。お米。
リゾットで召し上がっていただく。
奈良のお米を使っている。北村農園で育ったものだ。
「どんなところで、つくられたお米なんだろう・・・?」
そんな思いで、店長の西野は北村さんの田畑を訪れた。
土と水と太陽・・・そして北村さんのエネルギーが、まっすぐに植物につながっている気がした。
店長も作業を手伝ってみた。
ちょっぴりへっぴり腰。
自分の身体を使って、自分たちが食べるものをつくる。
自分のエネルギーが、食物のエネルギーに変わる。
そしてまた、食物からエネルギーをいただく。
少しの時間だったけれど、なんだか大切なことが分かった。
Ninoに来て下さるお客様にも、大切なことが伝わりますように・・・。
北村さんの思い。Ninoの思い。
たくさんつまったリゾット。
美味しいだけじゃない。
大切なものがそこにはつまっている。
(by MAYUMI)
今週は・・・
「ズッキーニのパスタ」
* * *
ズッキーニをふんだんに使ったオイルベースのパスタ。
夏野菜の美味しさ先取り!どうぞ召し上がれ。
今週は・・・
「プッタネスカ」
* * *
イタリアの定番パスタ。
暑くなると必ず食べたくなる一皿です。
トマトソースに、アンチョビ、オリーブ、ケッパー。
程よい酸味がベストマッチ!!